幼い頃から聞き分けが良かった期待の子が、或る時期からおかしくなってしまうことがめずらしくありません。いくら多くの知識とか技能を身につけても、心のどこかに歪みが生じてしまうのです。今日では、良い子がかえって危ないことも事実です。しかもこれに対する特効薬はありません。それだけに私どもには、子育てに対する「覚悟のほど」が必要となるわけです。
えひめこどもの城にみる親子共生の風景
つけたりの断章
1.「逆縁の菩薩」~挫折や失敗体験こそ、命~〈某研究会々報〉
或る日、かつて経験したこともないきびしい呼吸困難を起こしました。次第に意識も定かでない状況下、第三次救命救急センターの診察室はきわめて印象的でした。「診察三分。待ち時間三時間」とは、大病院の日常性をうまくとらえております。が、当センターでは息も絶えだえの一人の患者に向かって、多数の医師・看護師・診断機器がわっと押し寄せてくるのです。そして寸秒を争う形で、関与者相互の連携プレーが展開されるわけです。最新のCTやMRI を駆使する先駆的医療スタッフの、人の生命に対する的確な洞察力と決断力は、まさに専門職としての力量そのものです。これによって患者さんの病状は、改善されたり悪化したりもするわけです。
私の場合は約一時間余りで、診断結果が出たようです。あまり耳慣れない病名は「肺梗塞」でありました。そしてそのことを主治医は病室への搬送エレベーターの中で、「診断がかなり難しかったのですが、早々に病名が確定できて良かったですね。このことはあなた自身の幸運なのですが、私にとってもたいへん嬉しいことなのですよ」と告げてくれました。正直なところこのことばで、「よーし。このドクターに命あずけた」とばかりに、私の精神状態は急変したようです。
医療や教育の世界にあっては、相手への共感的な関与態度が最も重要であることはいうまでもありません。ここには強者としての「世話する者」、弱者としての「世話される者」の区分は存在いたしません。両者の間に横たわるものは、「とことん。いっしょになり切る」共生的な連帯感そのものであります。そのことを私の主治医は、無意識のうちに実践なさっておられたわけです。ほんとうの意味での名医とは、冷厳な科学的知識や経験に加えて、患者といっしょになって共感できる心を持つ人のことをいうのでしょう。
入院当初、獅子身中の虫としてのわが心臓は造反を繰り返すばかりでした。本来リズミカルであるべき脈拍は、二拍はおろか三拍さえも休止してしまうのです。当然その様態は別室の機器で、昼夜を分かたずに監視されていたようです。そしてその時々の医療措置のために、私のベッド・サイドにはたくさんの医師や看護師が出入りされた模様です。朦朧とした意識の中ですが、その人数は約十五名ほどになったでしょうか。ここでやむなく弱者の立場に立った私は、自らの感覚系を総動員しながら、患者に対する医療現場独特の雰囲気を本能的に察知しようとしていたのです。そして結果的にここで働く人々は、「身体だけで」と「身体と心がいっしょ」の二群に大別されるように感じました。当然のことですが、患者の側から期待される関与者像は後者に属します。それゆえに専門職と呼ばれる人とは、そうした心情が本人にとってどれほどに切なく哀しいものであるかを、あたたかく共感的に解読できる人のことを指しているのです。
だが、それにしても、こうした共生・共感・共学的な関与態度を、一貫的に堅持することは容易なことではありません。なぜなら弱者の声なき声に耳を傾けるためには、まず強者としての自分自身を変えることが必要だからです。おろかな私などは死の恐怖におののく身になってみて、初めて素直に自分を変える難事に向き合えたわけです。もちろんこの背景には、病気による挫折感や敗北感が脈々と流れております。しかしそうした「敗者の生きざま」の中にこそ、勝つことのみでは学習が困難な「生きぬく力」「思いやりの心」「意欲・やる気」の真価も横たわるのです。もともと人と人との関係としての「心の問題」は、まさに相手の立場に立ってみないと理解できないことが多いものです。
こうした意味で私は、治療・看護・世話される弱者になることで、平素では体得が困難な「逆縁の菩薩」からの授かりものに出合えたのかも知れません。この場合の逆縁の菩薩とは観音菩薩の変身であり、世の多くの人ができるだけ避けて通りたいと願う、逆境や修羅場をあえて提示しながら愚かな人間を救おうとなさるのだそうです。私のつたない病床体験も、その一環であったに違いありません。
ところで現在の学校教育は、「一点でも良い成績を取ろうと勉強すればするほど、他人の弱点や短所をあげつらうことがうまくなる」「自分良かれ、他人悪かれ」と念じる、冷たい感性の持主が続々と輩出されることに頭を抱え込んでいるのです。これは知的能力(学力)と生きぬく力(思いやりの心・やる気)を知行合一の形で、バランスよく育てる方策がいっこうに見えていない証拠です。
もともと学業成績と心の育ちは別個のものであるにもかかわらず、それを同一のものと錯覚する原因の一つは、今日の教育論議のほとんどが、テストで測定が可能な勝者の論理に基づく、学力問題だけに強い関心を示すことにあります。当然、逆縁の菩薩が啓示する「生きぬく力」や「弱者の生きざま」は、数値化が困難であるだけに具体的な実践方法は、昔も今も不問に付されがちなのです。
以下省略
平成6年10月23日
2.「逃げたらあかん」~ピンチを転じて、チャンスにする~〈ミニSL停留所〉
前頁の拙文を某研究会々報「心の教育」に上梓(し)してから、はやくも十年余の歳月が流れました。「十年一昔」。こどもの城での私の暮らしもこの時間帯の中に埋没しています。
ところでその間に、わが国の社会状況は望ましい進展ぶりを遂げてきたでしょうか。列車脱線事故や耐震強度偽装事件はいうに及ばず、人の生命を命とも考えない陰惨な凶悪事件は、うなぎ上りの多発ぶりです。ここ一か月足らずに、秋田と佐賀では三人の小学生が悲劇に見まわれました。今では子どもたちが犠牲になる痛ましい事件や事故は、どこで起こっても不思議ではないのです。全国、津津浦浦の学校周辺部の「見えにくい・入りやすい場所」は、全て犯罪多発地帯に急変する時代です。もはや人間としての良識や常識は通用しないような現実は、誠にきびしい現実です。子どもの生命を守る責任は、今日の地域社会が背負い込んだ喫緊の課題なのです。
にもかかわらず、こうした社会的風潮とは無縁の形で今、えひめこどもの城は平穏な日々を送っております。名実共に「子どもの楽園」として、ほんとうにありがたいことだと感謝いたしております。
[パパといっしょにミニSLを見つめる男児のそばに、私は突っ立っていました。そして「何と美しい目なんだろう・・・」と、その子の横顔にうっとりと見とれていました。そのうちに私と男の子の目線が、ピタリとかち合ってしまったのです。こんな瞬間は、この世には星の数ほどもあることでしょう。さぞかし怖いお相手なら、間違いなく「何で眼(がん)つけるんぞー?文句あるのか」と凄まれるところです。男の子の目も初めのうちは、「だれだろう?変なオジン」といぶかっているようでした。が、ほんの四~五秒も経たないうちに「この人間、まんざら敵でもなさそうだ」と、つぶらな瞳が次第にやわらかくなりました。その変化が私にはぴんぴんと響いてくるのです。ここに目と目を通しての気持、心の交流が成立したわけです。「目は心の窓」。この上に表情とかしぐさが加わりますと、人間同士としてのコミュニケーションはさらに濃いものとなります。
しばらくの間、私の目を凝視していた男の子はなお私の目を見つめたまま、「まだ、二つ」と問わず語りに話しかけてきてくれたのです。表現はたどたどしい二語文です。それだけに意表をついた年齢の話に、私はただ、ただ嬉しくなってしまいました。いやはやこの二歳児さんに、私は励まされ慰められているのです。「あ、そう。パパといっしょ。バンザーイ」と私が両手をさし上げると、その子もニコニコしながら笑い返してくれるのです。するとパパは「おまえ、何で歳の話なんかするんぞー?」と、男の子を抱き上げながらほほずりをしました。男の子とパパと私の三人は、まるで十年来の友だちのようです。
文章化しますと、ただこれだけのことです。しかもこんな風景はどこにでも転がっていてめずらしくありません。しかしこうした平凡な人間模様の中に、見落としてならない子育ての原点が秘められているのです。それらは、あらまし次のようなものでしょうか。
〇親が笑えば子どもが笑う。子どもが笑えば親はそれに励まされて、さらに熱心に子どもにかかわろうとする。
〇子どもの長所や良い面を認めて、叱るよりも褒めることを多くする。賢明で子育て上手な親は、例外なく褒め上手である。
〇子どもと大人がいっしょになって響き合う。そのためには援助する大人の側が、援助される子どもより一歩先に変らなければならない。
ここに二歳男児とそのパパによって描出された「親子共生の風景」は、とりもなおさずすでに来園なさった三百万人の人たちの暮らしそのものなのです。ここでの笑いと涙の響き合いこそは、まがう方なく人と人との関係としての心の実体であり、子育てや教育の原点であるに違いありません。
思えば現代社会の脆弱(ぜいじゃく)さは、「物ばかりは豊かで心貧しい」との一言に集約されます。それだけに逆縁の菩薩は心の荒廃から派生する危機場面を、「これでもか、これでもか」とばかりに私どもに容赦なく突きつけられているのです。にもかかわらず私たちから返す応答の多くは、「今の子どもたちはなっていない・・・」「親や社会が悪いからだ・・・」などと、相手側に責任を押しつけることだけで精いっぱいです。確かに自分以外の人に、非難の的を転嫁することは易しいことです。しかしこうした対処法だけでは、現代社会の混迷ぶりは百年後はおろか、五十年後すらも寒々と心もとない限りです。
それだけに今の私どもが担うべき責任には、どんなことが問い正されているのでしょうか。ここには快刀乱麻を断つ特効薬などはありません。ただ逆縁の菩薩から啓示される危機が深刻であればあるほど、心の荒廃を起死回生させる機会も、また大きいことを学ばなければなりません。そのためにも私たちは、まず子どもの前から「逃げたらあかん」とする、覚悟のほどを固めることが大切です。そして子どもたちとトコトン一緒になりながら、「ピンチを転じて、チャンスにする」、たくましい生きざまを懸命に追求すべきです。このことを名実ともに具体化するためには、私たち大人(強者)は子ども(弱者)よりも一歩先に、自分を変える辛酸をもっともっと痛烈になめ合うべきです。えひめこどもの城は子どもの遊び体験の場であると同時に、「今、ここに」生き切る人間同士のかかわりの中で、私たち大人が苦しみもがきながら自分を変える場でもあるのです。
平成18年8月1日