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つけたりの断章
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2.「逃げたらあかん」〜ピンチを転じて、チャンスにする〜《ミニSL停留所》
 前頁の拙文を某研究会々報「心の教育」に上梓(し)してから、はやくも十年余の歳月が流れました。「十年一昔」。こどもの城での私の暮らしもこの時間帯の中に埋没しています。

  ところでその間に、わが国の社会状況は望ましい進展ぶりを遂げてきたでしょうか。列車脱線事故や耐震強度偽装事件はいうに及ばず、人の生命を命とも考えない陰惨な凶悪事件は、うなぎ上りの多発ぶりです。ここ一か月足らずに、秋田と佐賀では三人の小学生が悲劇に見まわれました。今では子どもたちが犠牲になる痛ましい事件や事故は、どこで起こっても不思議ではないのです。全国、津津浦浦の学校周辺部の「見えにくい・入りやすい場所」は、全て犯罪多発地帯に急変する時代です。もはや人間としての良識や常識は通用しないような現実は、誠にきびしい現実です。子どもの生命を守る責任は、今日の地域社会が背負い込んだ喫緊の課題なのです。

  にもかかわらず、こうした社会的風潮とは無縁の形で今、えひめこどもの城は平穏な日々を送っております。名実共に「子どもの楽園」として、ほんとうにありがたいことだと感謝いたしております。

  [パパといっしょにミニSLを見つめる男児のそばに、私は突っ立っていました。そして「何と美しい目なんだろう・・」と、その子の横顔にうっとりと見とれていました。そのうちに私と男の子の目線が、ピタリとかち合ってしまったのです。こんな瞬間は、この世には星の数ほどもあることでしょう。さぞかし怖いお相手なら、間違いなく「何で眼(がん)つけるんぞー?文句あるのか“」と凄まれるところです。男の子の目も初めのうちは、「だれだろう?変なオジン」といぶかっているようでした。が、ほんの四〜五秒も経たないうちに「この人間、まんざら敵でもなさそうだ」と、つぶらな瞳が次第にやわらかくなりました。その変化が私にはぴんぴんと響いてくるのです。ここに目と目を通しての気持、心の交流が成立したわけです。「目は心の窓」。この上に表情とかしぐさが加わりますと、人間同士としてのコミュニケーションはさらに濃いものとなります。

  しばらくの間、私の目を凝視していた男の子はなお私の目を見つめたまま、「まだ、二つ」と問わず語りに話しかけてきてくれたのです。表現はたどたどしい二語文です。それだけに意表をついた年齢の話に、私はただ、ただ嬉しくなってしまいました。いやはやこの二歳児さんに、私は励まされ慰められているのです。「あ、そう“。パパといっしょ。バンザーイ」と私が両手をさし上げると、その子もニコニコしながら笑い返してくれるのです。するとパパは「おまえ、何で歳の話なんかするんぞー?」と、男の子を抱き上げながらほほずりをしました。男の子とパパと私の三人は、まるで十年来の友だちのようです]   

  文章化しますと、ただこれだけのことです。しかもこんな風景はどこにでも転がっていてめずらしくありません。しかしこうした平凡な人間模様の中に、見落としてならない子育ての原点が秘められているのです。それらは、あらまし次のようなものでしょうか。

  〇親が笑えば子どもが笑う。子どもが笑えば親はそれに励まされて、さらに熱心に子どもにかかわろうとする。

  〇子どもの長所や良い面を認めて、叱るよりも褒めることを多くする。賢明で子育て上手な親は、例外なく褒め上手である。

  〇子どもと大人がいっしょになって響き合う。そのためには援助する大人の側が、援助される子どもより一歩先に変らなければならない。

  ここに二歳男児とそのパパによって描出された「親子共生の風景」は、とりもなおさずすでに来園なさった三百万人の人たちの暮らしそのものなのです。ここでの笑いと涙の響き合いこそは、まがう方なく人と人との関係としての心の実体であり、子育てや教育の原点であるに違いありません。

  思えば現代社会の脆弱(ぜいじゃく)さは、「物ばかりは豊かで心貧しい」との一言に集約されます。それだけに逆縁の菩薩は心の荒廃から派生する危機場面を、「これでもか、これでもか」とばかりに私どもに容赦なく突きつけられているのです。にもかかわらず私たちから返す応答の多くは、「今の子どもたちはなっていない・・」「親や社会が悪いからだ・・」などと、相手側に責任を押しつけることだけで精いっぱいです。確かに自分以外の人に、非難の的を転嫁することは易しいことです。しかしこうした対処法だけでは、現代社会の混迷ぶりは百年後はおろか、五十年後すらも寒々と心もとない限りです。

  それだけに今の私どもが担うべき責任には、どんなことが問い正されているのでしょうか。ここには快刀乱麻を断つ特効薬などはありません。ただ逆縁の菩薩から啓示される危機が深刻であればあるほど、心の荒廃を起死回生させる機会も、また大きいことを学ばなければなりません。そのためにも私たちは、まず子どもの前から「逃げたらあかん“」とする、覚悟のほどを固めることが大切です。そして子どもたちとトコトン一緒になりながら、「ピンチを転じて、チャンスにする」、たくましい生きざまを懸命に追求すべきです。このことを名実ともに具体化するためには、私たち大人(強者)は子ども(弱者)よりも一歩先に、自分を変える辛酸をもっともっと痛烈になめ合うべきです。えひめこどもの城は子どもの遊び体験の場であると同時に、「今、ここに」生き切る人間同士のかかわりの中で、私たち大人が苦しみもがきながら自分を変える場でもあるのです。

平成18年8月1日
 
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つけたりの断章
1.逆縁の菩薩
〜挫折や失敗体験こそ、命〜
《某研究会々報》
2.逃げたらあかん
〜ピンチを転じて、チャンスにする〜
《ミニSL停留所》